テレビをじっと見てしまう時

そういえば、1月の終わりくらいにですね、ネットカフェ難民についての特集を見たのですよ。

アパート代を払えず追い出された若者が1日契約の派遣の仕事に出かけながら、毎日のねぐらにネットカフェを利用しているという。先日放送された『NNNドキュメント‘07(日テレ系)』で彼らの生活が映し出されていた。

 必需品はケータイ(派遣会社との連絡)、コインロッカー(荷物の預け)、そして、ネットカフェ(低料金での宿泊)である。だが「体を伸ばして眠りたい」と、ある10代後半の女性はつぶやいていた。

いや、格差社会がどうのというような視点で見ていた訳ではないのです。オイラは、そのなんて言うか、昔から、社会人としてというか、人として、大事な何かが欠けているのではないか?という根源的な欠落感が、心の奥底にある。具体的に何が欠けているのかは、分からない。分からないが、きっとオイラは社会に受け入れられないじゃないかという恐怖を感じる時がある。確かに今の所、五体満足で、社会人として、働き、給料を貰っている、借金があるわけでもない。あまつさえ、株式投資なんかも行っている。
いいじゃないか、大丈夫だよ、社会の構成員としてやっていけるはずだよ。そう、臭いものに蓋をするように、欠落感に対しても蓋をする。見ないフリをする、なかった事にする。
そうやって普段は自分をごまかしているだけに、この特集番組とか、銭形金太郎の番組とか、ビンボー生活というと、先達の生活の知恵を知ろうと、ガン見をしてしまうオイラがいる。