ラプラスの悪魔と不確定性原理

「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」
姑獲鳥の夏

たまーに、ぼけ〜っと考える事です。まとまってもいないし、オチもないので面白い話じゃないなと思ったら読み飛ばしていただければ。

ラプラスという昔の数学者は、こう考えた。世界に存在する全ての原子の位置と運動量を計る事ができ、それを解析する能力があるならば、未来とは不確実なものでなく、世の中の全ての未来が分かるだろうと考えた。勿論、全事象の正確な観測と計算を同時に行う事は、現実には無理なので、そのような超越的存在として、「ラプラスの悪魔」という架空の存在を想定した。
この悪魔にとっては、未来とは完全に予測できるのだ。つまり、振ったサイコロの目が何が出るかは、サイコロの材質、振ったスピード、角度、摩擦等を計算すれば、何が出るかは、分かるのだと。これは、例えば、人の意識も計算しうるという事だ。人の意識もニューロンと呼ばれる脳細胞とシナプスの相互作用による随伴現象*1だからだ。
要するに、世界の行く末は、既に決定している、パラレルワールドなどないという考え方だ。

それに対して、ハイゼンベルクという物理学者は、量子力学の中で、「不確定性原理」という原理を生み出し。ラプラスの悪魔には、未来を予測する力はないと証明してしまった。この原理は、量子というミクロな世界では、粒子の位置を正確に測ろうとすると、運動量が正確に測れなくなり、運動量を正確に測ろうとすれば逆に位置があいまいになってしまい、両者を完全に正確に測る事は絶対に出来ないというものだ。これは、オイラ達が観測をする、通常見るという行為は、例えば物が光に当たって反射した可視光線によって認識している。(真っ暗闇の中ではあるかどうか分からないですよね。)この時、光は物に当たって反射しているのだけども、だからといって光で物が動く事はない。だけども、量子力学で扱うミクロの世界では、光があたると、粒子が移動してしまうのだ。
これは位置を知ろうとすると、運動量は確率的にしかとらえられないという事で、つまり、観測してみなきゃ、本当の運動量というのは、分からないと言う事だ。
言い換えると、観測者が観測をしないと結果はでないが、観測者が観測をするという行為は対象に影響を与えるので、観測した結果は、本当の観測結果ではないという事になる。フフ、なんだか禅問答みたいですよね。この考えだと未来は決まっていない。もしくは、観測した時点で遡って創られているのかもしれないという事です。

まぁ、なんでこんな事を言い出したかという昨日、視線というものを題材にしたので。観測する際、視線(正確には視線ではないですが)が対象に影響を与えるというこの、不確定性原理は、理屈としては、納得できるのですが。なんとなく感覚的にはしっくりこなくて、たまに、ぼーっと考えたりするんですよね。京極堂は、不思議なことなど何もないと関口君を諭しますが、オイラにとっては、この世の中は不思議なことだらけですからね。

*1:いや、意識とは随伴現象ではないという考えもありますけども、ここでは省略