それでもボクはやってないを観たよ

公式サイト⇒http://www.soreboku.jp/index.html
最近、私事で映画が見れてなかったのですが、もうすぐ、上映が終わるという事で、それでもボクはやってないを観てきました。

面白かったですね。
法廷を舞台にして、法知識をちりばめるというドラマという点においては。例えば、赤かぶ検事シリーズとか弁護士 朝日岳之助シリーズのような2時間サスペンスドラマなんかでもよく行われているので、目新しい物ではないですが。それでもこれらのドラマで扱われるのは、主として殺人事件です。それをこの映画は、痴漢冤罪事件という誰しもが、起こりうる犯罪を主題にする事で見る側に、自分や知り合いがもしかしたらというという緊張感を感じる事ができたと思います。
それも、被害者も警察も検察官も裁判官も幾分か手段に疑問はあるものの、誰か悪人がいて主人公を陥れようとした訳ではない。なのに、冤罪として巻き込まれていく主人公という恐怖、これは怖いですね。

そして、周防監督もそれを表現しようとするのに、凝った技法を使うのでなく、直球勝負の演出を行っていたように感じました。
そうですね、おぉと思った部分は。
例えば、この映画中では、実際の痴漢の犯行状況をカメラに写していません。つまり、実際には、主人公は痴漢を行っていないと主張しているが、視聴者にそうだと納得できる材料は用意されていないのです。だから、もしかしたら、あの主人公は、本当は痴漢を行っていたのかもしれない、そんな可能性は残しているのです。
他には、役所広司が、熱意のあるベテラン弁護士として主人公の弁護を引き受けるのですが、その弁護士でも、公判日程を決める際には、その日程では、差し支えがと発言します。当たり前の事なんですが、弁護士にとっては、主人公の事件は、One of Themなんですね。他の事件の弁護も行わなければならないし、そうでなければ、生活できない。たまに2時間ドラマで遠隔地の犯行現場に何度も足を運んだりと、あり得ないコスト感覚で動く弁護士とかが出てきて、突っ込む時があるんですよ。どんだけの解決報酬とる気だよって、それとも赤字だしても大丈夫なのかって。
後は、主人公が副検事から起訴だと言われた際に、ピントがぼやけていく事に平穏な現実が崩れていく事を表現していたのだと思うし、またこれ以降主人公が画面に入る時は、大体において主人公のみにピントが合うようになり、例えばその後ろの傍聴席や弁護士席は、ぼやけたようになる事が多かったです。これは、裁判の当事者とその関係者において、薄い壁ができていたという表現だったんじゃないかなと。これは穿ちすぎかもですが。

それにしても、小日向文世さんは、主役こそないけど、名俳優だなと改めてそう思いました。

最後に、どうしても、現実で考えてしまうのは、植草元教授が有罪か無罪かは分からないので、それは置いておいて、捜査での逮捕勾留は23日間のみなのに、100日間にも及ぶ長期勾留は人質司法だろうし、またそれは常套手段なのだろうという点。のぞきの際にはアダルトDVDの押収され、それで世間的には、ほぼクロだと判断されてしまう点、そしてそれは正しいのか?という疑問、それでもボクはやっていないの主人公に対する心情とはどこが違うのだろうか。または、裁判官の人事評価基準をどこに置くべきなのか、既済件数で良いのか、それとも良い判決というのならば、それは誰が評価すべきなのか。事案を多く抱えながらも、誤審は絶対に許されないという点は、産婦人科医と相通じるものがあるなという点などです。