中華思想と冊封

この「とある国」の一地方は、2世紀ごろには既に朝貢して皇帝から国王と認められていたと、後漢書東夷伝に書かれています。
その後、三国時代魏志倭人伝にも朝貢の事実と、国王の認証についても書かれています。
時代が下がり、14世紀になると、「とある国」の将軍は、当時の中国を支配していた明王朝に対して、明確に臣従して、このとある国の王と認めてもらっています。

つまり、この明王朝までは、この「とある国」は中国の一地方という扱いを、中国ではされていた訳です。

中華思想が現代に及ぼす影響なんかは、なんとなくでしか話せないレベルなんで、まぁそれはおいておいて。
とある国を題材に、中華思想冊封についての歴史的背景が、面白かったです。

気になる点をいくつか。
これを読むと、とある国は、2世紀から14世紀の明王朝まで、国王として認めてもらってたとも読めますが。
実際には、倭の五王(5世紀ごろ)までなら、ともかく。随や、唐の時代になると、日本は国王として認めてもらおうとしてなかったはずです。まぁ、遣隋使や遣唐使などの朝貢行っていましたから、下手に出てたし、実質的には影響下にあったとは思いますが。
それから、下って鎌倉時代に至っては、元寇。元から高麗のように属国になれという国書がきた際、幕府は拒絶し、その結果、元寇と呼ばれる戦争がおきました。
14世紀になると確かに「とある国」の将軍は、国王と認められて、貿易が始まるのですが。
早くも、その次の将軍の代には、朝貢形式の貿易が屈辱だとして、取りやめてしまいましたしね。まぁ貿易の旨味はすてがたく復活しますけども。

その辺りを眺めると、中国の冊封体制には、あまり組み込まれないようにしてたんじゃないかなという印象がありますけどもね。