地下鉄(メトロ)に乗って

公式サイト⇒http://www.metro-movie.jp/

ある日主人公の信次(堤真一)が永田町の地下鉄の階段を上ると、そこは東京オリンピックに沸く昭和39年の東京だった。その後も不倫相手の恋人、みち子(岡本綾)と共に、昭和の時代をタイムスリップして行く。その中で信次の父親(大沢たかお)や、その恋人(常磐貴子)に出会い触れ合う中で、隠された父親の心情を知る事となる。

あらすじ的にはこのような話なんですが。
まず、一言。これ、地下鉄(メトロ)って、ただ言いたいだけちゃうんかと、小一時間問いつめたい。
地下鉄である必然性がかなり薄いのである。最初は確かに地下鉄の駅をでると、タイムスリップしていた、まぁこれは良いでしょう。そして、タイムスリップする際には、地下鉄を運行している場面が出るのも良いでしょう。ですが、これ以降は、恋人の家で眠っていても、タイムスリップするし、その際には、靴も履いていなく、上着も着ていないのに、何故か過去に戻ると上着と靴は着用している。タイムスリップにおける法則性をなんら提示していないのである。なぜ信次とみち子だけがタイムスリップするのかも、そのきっかけは何なのか、どうやったら現代に戻って来れるのかが謎のまま進んで行くのである。だからか、前半のタイムスリップは唐突で、話が頻繁にあちこちに飛んでいる印象があった。

また、主人公の信次が過去に戻った時は、昭和39年だったのだが。その時、主人公の位置づけが分からなかった。というのも、昭和39年と言えば、今から42年前である。確かに昭和39年時には、主人公らしき少年もいたのだが、どう見ても小学生か中学生。10歳にはなっていようかと見えるのだ。と言う事は、主人公は、50代という事???堤真一さんは、どう見ても50代には見えないのだがと、戸惑ってしまった。
これは後にネットで調べたら、原作が1994年に発売されたので、映画における現代は1994年頃であろうとの事。(それなら確かに主人公は、40代で納得できますしね。)

また、ちょっとネタバレ的な話になってしまうのですが、中盤以降に恋人のみち子とのベッドシーンが展開されるのですが。その時点で、みち子は、○○だって言う事を知ってたんじゃないのか?なのにベッドーシン?それって、おかしくないか?と。
ラストのみち子の行動も、えぇぇぇと思ったのだが、これは単純な感想なんで、まぁそういう行動もありかもねという所です。唐突感は否めなかったですが。

というように、映画のストーリーとして詰めが甘い部分が多すぎるように思いました。

その部分に目をつむれば、各俳優陣の演技を安定していて、大したものだと思います。特に、大沢たかおさんの、父親の各時代に対応した演技は見事なものだと思います。(ただ、ちょっとクドイ演技だなと思った事も付け加えておきます。)

昭和の町並みや雰囲気、音楽についてもなかなか良くできてて、全体的な話の構成も面白そうだっただけに、ストーリー部分の無頓着さは残念に感じてしまう映画でした。