たかがという言葉は、あまりに正論すぎて言葉のナイフとして相手を傷つけはしないだろうかという疑問

どうして、たかがイジメくらいで自殺するのでしょうか!?
と言えば、たかがじゃない!!と言い返されるでしょうね、多分。
でも、たかがですよ、たかが!!!
その程度の逆境に耐えたり、そこから道を切り拓いたりすることができないから、自殺するんでしょう。

butさんの主張を勝手にまとめると。たかがイジメなのである。イジメは昔からあって、昔の方が酷かった。だけど、昔の人は引きこもりや自殺なんてしなかった。少しは忍耐する力をつけよう。
と言う事だと思う。この論理って、間違ってるとは思わないけど、ちょっと立派すぎないかなという思いがある。というか反論不能になりやすいと言うべきか。

ネットの掲示板を見ていたら、今でも、色々と悪口を書いて、他人を貶めて、自分の安定を図ろうとする輩が大勢います。

例えば、この理屈って、ここにあるネットの悪口にも適用できちゃう。たかが、悪口なのである。悪口なんて、昔のイジメに比べればというように。
つまり、昔のイジメや貧乏に比べたら、今のイジメやネットの悪口なんて我慢できるんじゃない。現に昔の人は、我慢してきたのだからという論理は、冷静な時には、まぁそうかもなぁ、自分が強くならなきゃなぁという受け取り方として、正論と考える事はできますが。
現に、イジメやネットの悪口に合って苦しんでいる人に、その論理は届くのだろうか?やっぱり、そんな事にも耐えられない、俺(私)が、ダメな存在なんじゃないだろうかという追い込みになりはしないだろうか。そもそも人の心にある辛さを、昔のイジメはこれくらいの辛さで、今のイジメはこれくらいだから、昔の方が辛いなんて定量化する事なんて、できるのだろうか。
という疑問があるので、「たかが」というロジックは、危険じゃないかなと思う。

後、じゃぁ、お前ならどうすんねんというのを。イジメにあったのなら、個人的には、耐えるよりも、逃げてしまえば良いと思ってる。まぁ、ちょっと嫌な事があったら、すぐ逃げるというのはどうかと思うけど。自殺まで考えるという状況になるのなら、学校なんて、一校しか無い訳じゃないし、転校しても良いと思う。ネットの悪口でいうなら、サイトなりBlogなり閉じてしまえば良いと思う。無理してそこに居続ける必要性はない。

学校でのイジメなんて、たかだか数年。

そう学校のイジメは、学校にいる数年で終わるのである。つまり、イジメが発生するメカニズムは、学校や会社、サイトという閉鎖された社会空間の中で発生し、そこで終焉するのである。学校を卒業してからも、イジメが続くという事はないし、例えば、会社においても、お局様が新人をいびるのも、会社の中だけなのであって、寿退社した人間の家にワザワザいって、いびると言う話を聞いた事はない。それは閉鎖された社会空間から、抜け出す事ができれば、大概において、イジメは止まるのだという事だと思う。
だから、正直、先生もイジメを見つけたら、「イジメられるお前にも原因があるんだぞ」という寝ぼけた説教ではなく、転校先を見つける事の方が先決ではないだろうかと信じている。