ゲド戦記 原作者からの言葉

原作者のル=グゥインさんが映画「ゲド戦記」についての感想をWebサイトに載せられてます。別に原作者の感想がどうだ、こうだ言うつもりはないのですが(映画と原作は別物だと思いますので)、以下の部分にちょっと興味を惹かれました。ちなみに、ゲド戦記の感想となっていますので、映画を観てからリンク先を参照するのをお薦めします。

The moral sense of the books becomes confused in the film. For example: Arren's murder of his father in the film is unmotivated, arbitrary: the explanation of it as committed by a dark shadow or alter-ego comes late, and is not convincing. Why is the boy split in two? We have no clue. The idea is taken from A Wizard of Earthsea, but in that book we know how Ged came to have a shadow following him, and we know why, and in the end, we know who that shadow is. The darkness within us can't be done away with by swinging a magic sword.

(シナリオの勝手な意訳)
映画においては、原作で述べた道徳観念が混乱しています。例えば、映画において、アレンの父殺しについては、動機のないもので、気まぐれなものとなっています。
邪悪な影、または、もう一人の自我が引き起こしたのだと後になって説明されていますが、説得力のあるものではありません。なぜ、少年の魂は2つになってしまったのでしょうか?手がかりは何もありません。そのアイデアは、原作(A Wizard of Earthsea)から引用されているのでしょうが、原作では、ゲドが、どのようにして彼の後についてくる影を持ったのか、そしてなぜ持つ事になったのかが、分かりますし、最終的には、その影とは何なのかも分かります。私たちの中にある暗闇とは、魔法の剣を振り回すだけでは、追い払えるものではないのです。
(意訳終了)
訳間違えてたら、スンマセン。オイラってばSEだから数字なら得意なんですけど、英語はねぇ〜。(都合のよい男です。)
で、アレンが父親を刺したのは、原作者の方も分からないという事は、原作にはオリジナルエピソードだったという事ですかね。どういう意図であのシーンを入れたんでしょうかね。(大した意味はないのかもしれませんが。)簡単にキレてしまう現代の若者に対する風刺なのかなぁ?
うーん、原作見たら何か分かるかなっと思っていたので、ちょっと残念でした。